分かれ道で、本人は何を根拠に選んでいるか
管理職コースと専門職コースを並べる複線型人事は、管理職のなり手不足への対応や、専門性の高い人を管理職にせずに処遇する手段として、導入する会社が増えています。制度の中身はよく練られていても、運用の段階でつまずきやすい場面があります。コースを選ぶその日に、本人が「なぜそちらを選ぶのか」を自分の言葉で説明できないことです。
よく聞かれる理由は「管理職は大変そうだから」「プレイヤーでいたいから」。どれも正直な気持ちですが、管理職を選ばない理由ではあっても、専門職を選ぶ理由にはなっていません。こうして選ばれた専門職コースは、数年後に「何の専門家として評価されるのか」が本人にも上司にも見えず、処遇の根拠も揺らぎます。用語集の複線型人事制度でも触れたとおり、この制度の難所はつくった後の運用、とりわけコース選択が消去法になることにあります。
入社した時点で、専門職志向は管理職志向を上回っている
この傾向は、入社の時点ですでに表れています。ALL DIFFERENT株式会社とラーニングイノベーション総合研究所が2026年6月に公表した新入社員意識調査(2026年度入社、同社の新入社員研修の参加者3,849人)では、将来のキャリアとして専門職を志向する人が30.7%、管理職を志向する人が24.7%で、専門職が管理職を上回りました。一方で「特に志向はなく楽しく仕事をしていたい」が21.4%、「まだはっきりしておらず今後決めていきたい」が22.3%あり、方向が定まっていない人は4割を超えています。
理由の内訳も示唆的です。専門職を志向する理由の1位は「いざというときに専門性を活かして仕事をしていきたいから」で61.2%。「一つの分野を追究してみたいから」の31.6%を大きく引き離しています。専門性は、追究したい対象である以前に、先の見えない時代の備えとして意識されている、と読むことができます。
民間企業の研修参加者を対象にした調査なので、数字をそのまま一般化はできません。それでも、入社の段階で「備えとしての専門職」と「まだ決められない」を合わせた層が大きいことは、数年後のコース選択の場面を考えるうえで見過ごせない事実です。何も手当てをしなければ、選択の日には「なんとなくの備え」と「管理職は避けたい」が理由として残りやすくなります。
問うべきは「どちらが得か」ではなく「何を手放せないか」
コース選択の判断軸として役に立つのが、組織心理学者エドガー・シャインが1978年に提唱したキャリア・アンカーの考え方です。キャリア・アンカーとは、仕事を選ぶときにどうしても譲れないもの、自分を支える錨のことで、のちに8つのタイプに整理されました。その中には、特定の分野で腕を振るうこと自体に価値を置く「専門・職能」と、人や組織を動かして成果を出すことに価値を置く「全般管理」が、別々のタイプとして並んでいます。
ここで大切なのは、シャインがアンカーを、実際に仕事の経験を重ねるなかで形づくられていくものと捉えていた点です。働き始めて間もない時期にはまだ定まっていないことが多く、本人が自分で気づくには、過去の選択や手応えを材料としてたどる必要があります。進め方は、当社が運営する自己分析マップのキャリアアンカーの解説で紹介しています。本人に渡す案内としても使えます。
つまり、コース選択の場で「管理職と専門職、どちらに進みたいですか」と聞いても、答えの材料が本人の手元になければ、損得や印象で選ぶしかありません。問いを「どちらが得か」から「何を手放せないか」に変えるには、手放せないものが見えるだけの経験の記録が要ります。
材料は、選ぶ日の前の数年に落ちている
その材料は、日々の仕事の中にすでにあります。後輩に段取りを教えて、相手が一人で回せるようになったときに手応えを感じた。難しい不具合の原因を一人で突き止めた日が、いちばん充実していた。会議の調整役を任されると疲れるのに、資料の精度を詰める作業は時間を忘れる。こうした小さな手応えと違和感は、その日のうちなら言葉にできますが、半年後の面談ではほとんど思い出せません。
数分でよいので、その日に力を出せた場面と、消耗した場面を書き留めておく。それを数か月、数年と続けると、自分が人を動かすことに手応えを感じる人なのか、ひとつの技を磨くことに手応えを感じる人なのかが、記録の傾向として見えてきます。これが、消去法ではないコース選択の根拠になります。
このとき、記録の中身を会社が読む必要はありません。中身は本人だけのものにしておくほうが、人は正直に書けます。会社に見えるのは、ふりかえりが続いているかどうかという状態だけで十分です。ビジネスStockrも、この二層の形で設計しています。
制度の側でできる三つの設計
人事の立場でできることは、大きく三つあります。一つ目は、コース選択の前年を「材料を集める期間」として明示することです。選択の時期だけを告知するのではなく、その一年前から日々の手応えを書き留めるよう案内し、選択の場ではそれを持ち寄ることを前提にします。
二つ目は、コース選択面談の問いを変えることです。「どちらを希望しますか」ではなく、「この一年で、いちばん力を出せたのはどんな場面でしたか」「それが続く働き方はどちらのコースですか」と順番に聞くと、本人の答えは記録に根ざしたものになります。面談する上司にも、問いの例を事前に渡しておくと、面談が希望の確認だけで終わりません。
三つ目は、選び直しの機会を設けておくことです。キャリア・アンカーが経験とともに輪郭を持つものである以上、最初の選択が最終決定である必要はありません。数年ごとにコースを見直せる節目を置いておけば、本人は「間違えられない選択」の重さから解放され、かえって正直に選べます。
分かれ道を、キャリアの節目として扱う
コース選択は、人事の運用から見れば年に一度の手続きですが、本人にとってはキャリアの方向を決める節目です。節目の対話の質は、その場の面談のうまさよりも、節目までの日常でどれだけ言葉が積み上がっているかで決まります。制度を整えたら、次は選ぶ日の前の数年に目を向けてみてください。
ビジネスStockrは、日々のふりかえりにAIが伴走し、記録の中身は本人だけのものに、会社には続いているかどうかの状態だけが見える形で提供しています。複線型人事のコース選択に向けた面談設計や、ふりかえりの型を身につける研修のご相談も承っています。
出典:ALL DIFFERENT株式会社・ラーニングイノベーション総合研究所「新入社員意識調査(キャリア・勤続意向編)」2026年6月17日公表(調査期間2026年3月24日〜5月6日、同社研修に参加した2026年度入社の新入社員3,849人)/Schein, E. H. "Career Dynamics: Matching Individual and Organizational Needs" Addison-Wesley(1978年)
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